幸せとは
逆に不幸とは何かと考えると、私が不幸だと感じるのは、私のミスだと思えないのに嫌な目にあったときです。
だから幸せとは、自分の努力ではないのに良い目にあっていることだと思います。
求めるリーダー
先輩の卒業設計の手伝いを振り返ると、私のいたチームはリーダーがよかったと感じています。
最優秀賞をとりましたが、学年でトップの設計だったかというと他にもいい人はいました。
模型作るのが上手い人とか企画が論理的な人とか、そういうリーダーがチーム全体の成果をあげるわけではありませんでした。
そもそも人を雇うということは、自分より優秀な人を雇うのですから、私をチームに入れてくれたリーダーより、私は(ある分野で)優秀なのだと思い至りました。
自分より優秀な人をうまく使うことが、リーダーには必要です。
うまく使うためには、全体の利益を考え信用を得ることが大切だと思います。
自分だけの利益を追求する人は信用できませんし、他人だけの利益を追求する人の活動は、いずれ資源が尽き継続していくことができないので、やっぱり信用できません。
私のいたチームのリーダーの何が良かったのは、自分だけの利益でも、他人だけの利益でもなく、全体の利益を追求する人だったこと、そして仲間の背中を押し、尻を叩いてくれる人だったことです。
プラ板で人の添景
文具店で、印刷できるプラ板を買ってきて、人の添景を作りました。
(百均にも売ってました!)
ネットで拾ってきた人のイラストを、IllustratorかパワーポイントでA4一枚にまとめて、キャノンのプリンターで普通紙印刷。
ポイントは、乾くまで触らないこと、大人約12cm(1/50模型)で印刷することです。
仕上がりはこんな感じです。
透明のプラ板に色をつけて木や花の表現もいいかもって思ってます。
プラ板添景流行るかな〜!
引用は的外れ
受けたい授業の申請書を書いて、それを添削してもらう中で突然、引用は的外れだったということに気づきました。
申請書の書き方の具体例とかを引っ張ってきたものより、自分の体験から素直に感じたことを書いた文章の方が(相手にどちらが引用か言わず)響いたと言ってもらえました。
その時に、自分は引用する癖がついちゃってることに気づいたんです。
引用がダメなのは盗んでいるからじゃなくて(それを言えば言葉は全て盗んだもの)、的外れだからだと思うんです。
引用が的外れというのは、違う場面でも体験していました。
例えばメイク。誰も全く同じ顔でも美的感覚でもないので、自分の顔の特徴と、なりたい印象を目指して試行錯誤する必要があります。
また受験勉強もです。誰も全く同じ経験も習慣もないので、勉強方法を真似したって成績は伸びません。
申請書も同じでした。誰も全く同じ課題を捉え、同じ問いを投げかけてはいません。
状況が違うのに同じ答えを出せば、的外れなのは当たり前だと思いました。引用するとまとまった答えは出ますが、「力」がありません。
「力」のある答えを出すには、どうしてどうしてと自分に質問を重ね、試行錯誤しないといけないと、突然悟りました。
何のために働くんだろう
大学3年生になりました。夏には就職活動を始める同期が出てくると思います。
「働きたくないなー、何のために働くんだろう…」
ドラッカーの本を読みながら、働く意味を考えました。
会社が生まれるとき
会社で働くために就職活動をするわけなんですけれども、そもそも会社は何でできたんでしょう。会社がなければ働かない…?
ドラッカーの本では企業についてこのように述べられています。
企業とは何を理解するには、企業の目的から考えなければならない。
企業の目的は、それぞれ企業の外にある。
事実、企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。
企業の目的として有効な定義は一つしかない。
すなわち、顧客の創造である。
つまり会社は、誰かの幸せのために生まれたんですね。
身の回りの会社はどんな思いで作られたのかな?
会社理念の例
サッポロビールは、「お酒は、お客様の楽しく豊かな生活を、より楽しく豊かにできる」と信じています。
スターバックスコーヒー
一人のお客様、一杯のコーヒー、そして一つのコミュニティから
それぞれの企業が、どういう方法で社会を良くするかを考えて、会社って生まれてるんだと納得しました。
そんな会社に勤めるのに、「生きていくお金を稼ぐために働く」って考えるのは間違ってるのかな?
お金を稼ぐための仕事はダメなのか
ドラッカーの、「現代の経営」という本にはこうありました。
事業体とは何かを問われると、大抵の企業人は利益を得るための組織と答える。
大抵の経済学やも同じように答える。
この答えは間違いなだけではない。的外れである。
お金を稼ぐっていう目的はダメってことかなと思ったんですけど、次の文章で私はすごく納得することになりました。
もちろん、利益が重要でないということではない。利益は、企業や事業の目的ではなく、条件なのである。
また利益は、事業における意思決定の理由や原因や根拠ではなく、妥当性の尺度なのである。
噛み砕くと、
「利益のために会社がある」のではなく、「社会的な役割を果たすために」会社があるが、利益が出なければ企業活動を継続できない。
したがって、「利益は継続して社会の役に立つための条件」である。
だから、経営者は常に利益を意識しなければならないし、利益が出なければ会社はなくなる。
それゆえ、ドラッカーは、「全く私心のない天使が経営者であったとしても、利益には関心を持たざるを得ない」といいます。
だから、利益は今自分たちが行なっていることが、社会的に意味のあることかどうかを判断するための「尺度」とも言えます。
利益を求めることにいやらしさを感じていた私は、利益の本質を誤解していました。お金を稼ぐための仕事は、ダメっていうか、的外れなんですね。
企業活動を続けていくためのモチベーションが、お金じゃないとすると、好きなことを仕事にすると長続きできるかな?
好きなことを仕事にするべきか
「好きなことを仕事にしたい」「好きなことばかりではやっていけない」
好き嫌いで仕事を選ぶのがいいのか悪いのか、「これだからゆとり世代は…」とか喧嘩してるテレビ番組を見かけます。
しかし、ドラッカーが「企業の目的はそれぞれ企業の外にある」というように、働く内容を自分の中に問いかけるのは、的外れなのかもしれません。
「なぜこの仕事をするのか」の答えは、「誰のために働くのか」にあるのではないでしょうか。
好きなことより、信念を持てることを仕事にする
誰のために働くのか
そうは言っても私は、人間は利己的だという考えをずっと持っていて、誰かのためにという言葉を胡散臭く思ってしまいます。
「利他的の本質は利己的であることではないか」「生きるとは何が目的なのか」「なぜ感謝するのか」とか、そういうことをぐるぐる考えてしまいます。
人間は一人では生きられない。
だからお互いで補填しようという社会の仕組みがある。
そうシンプルに捉えることにしました。人間だけではなく、たった一匹、一頭、一羽で生きている種がないというのは客観的な事実ですので、ひとまずこれで納得できました。
働く意味とは
自分が社会のために貢献する方法を、見つけたり作り出したりして、それを実施していくことが、働くということ。
そして、一人ではやっていけないからお互いで補填してやっていこうというのは、生命という流れを維持する仕組みである。
客観的で論理的な説明を探していたんですけど、めんどくさい言い回しをするやつだと思われたかもしれません…
影響を受けている本は、「利己的遺伝子」「動的平衡」「マネジメント」とかです。
よかったら読んでみてください。
宅飲みにカリーブルスト
今日はおばさんと宅飲み。
2世帯で済むようになってから、下の会に住んでいるおじいちゃんとおばさんと遊ぶことが多くなりました。
カリーブルストの粉を使って一品持って行こうと思います。酔っ払いでも作れる簡単さ。
粉に200mlの水を入れて、焼いて1cm幅に切ったウィンナーを入れるだけ。
125gのウィンナーって書いてあったけど、少ないだろうと思って140g入れました。でも全然ソース余っているように見えたから倍追加しました。
多分これは多すぎです…
味はスパイシーで酸味もあって美味しかったです。本当に箸が止まらない。
ソース自体は思ったより薄味で、ウインナーのしょっぱさで味がちょうどよくなる感じです。
サッポロ黒ラベルと共にいただきます!