建築生活

こんな私の生活でも、興味を持ってくれる人がいたので、ブログを書くことにしました。

近代建築の発表会を見に行ってきた

Os先生の、北海道で大規模な木造建築が増えてきている理由、そして何故それが重要なのかという問いかけから、今回のフォーラムは始まった。

 

Os先生:昨年から始まった木造建築の流れの延長と言ってしまえばそれまでだが、大規模な木造の公共建築が北海道で作られるということには、他にも理由があると考える。

北海道の公共建築は、立てるものに対して敷地がとても大きいのだ。そのため平家にすることが可能であり、積雪を含めたとしても、木造建築の耐荷の問題をクリアしやすい。

 

Os先生:木造建築では、既存の流通材では長さがとれないなど問題もあるが、逆に可能性に変えることもできる。このことは北海道の木造建築を考えていくにあたって重要である。

 

Oz先生:木造のメリットがもっと知られるべき。

 

他の構造の先生:北海道の木造建築は敷地面積が広いため対荷の問題をクリアしやすいことに加えて、北海道の建築業界は狭く小さいネットワークで、よく言えばローカルで業者の顔が見えやすいので、工期が早い。

 

Os先生は続いて、歴史的建造物とまではいかないが、地域の中で大切な建物の維持と行政、地域の人のサポートのクッションとして働く建築家、アーティストと人のクッションとして働く建築家、二人に対して、建築家の役割を尋ねた。

それに対して、今年地下歩道を使ったアートなどを作った五十嵐さんは、「建築は使う人類のためのもの。アートは基本的には鑑賞である。体感させられるアートが、建築家のできること。」と答えていた。

私は、じゃあでは建築と体感型アートとの違いはなんだろう?と思った。私は、人の跡がつき歴史ができることだと思う。建築はどう生きるかについて前向きに考えてきた学問であり、だから建築の歴史を学び残すことは大切だと思う。