建築生活

こんな私の生活でも、興味を持ってくれる人がいたので、ブログを書くことにしました。

卒業設計のお手伝い

建築学生は忙しいと言われますが、先輩の卒業設計のお手伝いをしていたここ3日間はまさに建築学生をやっていたので、ご紹介します。

 

2/10

11:00~ 建築棟掃除

14:00~17:30 建築事務所で模型作りのバイト

18:00~22:30 飲食店のバイト

23:00~10:00 卒業設計の模型作り(3時間ほど研究室で仮眠)

2/11

10:30~17:30 建築事務所で模型作りのバイト

18:00~22:30 飲食店のバイト

23:00~14:00 卒業設計の模型作り(3時間ほど研究室で仮眠)

2/12

15:00~17:00 自宅でシャワーなど

18:00~22:30 飲食店のバイト

23:00~9:00  卒業設計の模型作り(ノンストップ)

9:00~10:00 設営

10:00~14:00 研究室で仮眠

14:00~ 昼食など

15:00~ 講評会

17:00 帰宅

 

卒業設計の模型を3日前から作り始めたための忙しさだったと思います。

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模型作りしてると時間が過ぎるのがすごく早くて、1日目はほとんど柵作るだけで終わってしまいました。

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卒計2日目

2日目にはだいぶ形ができてきました。

瓦の表現はリップルボードというボコボコした紙を細く切って重ねました。

看板は和紙に印刷し、周りを木で囲みました。

メガストラクチャーや白い手すりは、3Dプリンターで出しました。

ルーバーはビニル版の上に1mmに切った1mmバルサを並べました。

 

この模型を作るときこだわっていたところは、

①貼ってある画用紙の隙間を作らないこと。

0.5mmの隙間でも、ちょこちょこあると雑にみえます。1枚目の画像はまだ埋めてないとき、2枚目の画像は一番左以外埋めたときです。

②スチレンボードに画用紙を貼るときは、表面だけでなくサイドも埋める。

例えばDaichanの看板では、印刷した紙を2mmスチレンボードに貼っていますが、サイドの白い部分も塗りつぶすか黒い画用紙を貼ったほうが丁寧にみえます。スラブは5mmのものを使っており、もちろんサイドも灰色の画用紙で埋めました。

細かいところに気がつく人と気がつかない人がいますが、「こっちの方がいいんじゃないか」と思ったら、そうした方がいいなと思います。積み重ねで丁寧さがにじみ出ます。

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完成模型

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先輩がライノで描いたパース

卒業設計の発表は午前中に展示があり、午後から発表と講評会がありました。

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卒業設計講評会の様子

私が手伝っていた先輩のチームには、パソコンに強い人がいて、設計した防災施設のプロモーション、被災時、救助が来るまで、を映像化して流していました。映像を展示したのは、北大の建築では初めてのことで、「むつみ賞」という最優秀賞をとっていました。むつみ賞は、北大の建築学生なら誰もが憧れる最優秀賞で、出ない年もあります。選抜作品は意匠系の研究室から多く選ばれる中、防災の研究室かむつみ賞が出たことは異例でした。微力ながらお手伝いできたことを嬉しく思います。この卒業設計でお手伝いした先輩が、自分の卒業設計の時に力を貸してくれたりします。

 

建築事務所でも模型のお手伝いをしていました。

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建築事務所での模型手伝い

小学校と中学校が一緒になった、義務教育学校の模型を作っているところです。こんなに時間をかけて作ったのがスタディ模型(試作品で、会議の中でいじる)だとは、学生とのレベルの差を感じます…

時給は850円と最低賃金ですが、ちゃんと柱や梁のある模型を作ったり、指示出しの方や模型の表現の工夫など、気づいたことをメモしておくと勉強になりました。

 

卒業設計も建築事務所の手伝いも、忙しくなりますが楽しいので、ぜひ参加するといいと思います。しかし、人それぞれ自然とやる時期が来るとも思うので、無理に背伸びせず、その時一番やりたいと思っていることに取り組むことをお勧めします。

 

 

 

建築計画Ⅰ 日本の住宅の形式の変化

建築計画Ⅰ

 

今回の授業は、住宅の形式の変化のお話でした。

 

関西、関東を中心とした日本の住宅や住宅に限らずその他の建物も、その時代の影響を受けています。例えば廊下は近代以降に生まれたものです。桂離宮にも廊下はありません。

北海道では、アイヌが住むところに開拓が入り、近代、現代的な暮らしになりましたが、入ってきた人も、相当の苦労をして開拓していきました。その結果、四角くて窓の小さい建物が多くなってしまいました。

 

 

本州の住宅の変化は、明治時代に西洋が入ってきたことから始まります。

和洋折衷で、敷地の中に和式の住宅と別棟の洋式の住宅を作りました。面白いのは、別棟の洋式住宅でも靴を脱いだところです。日本人の衛生の文化と、湿度が高い気候の中で、靴を脱ぐことはやめられなかったんですね。

そして、洋式を基本にした住宅の内部に和式の部屋が入れられるようになり、床座と椅子座の共存を模索していきます。

余談ですが、京都の畳の幅京間は、関東の田舎間より柱一本分大きいので、古民家再生の時にユニットバスが入らないなどの問題が起きます。

そして中廊下型住宅へ発展していきます。質をそれぞれ独立させ、独立性を高めてきました。プライバシーの概念は、日本に伝統的に存在しませんでした。プライバシー保護がいいなと思って輸入されたんじゃなくて、憧れから形を真似、それからプライバシーを知ったのです。そして「茶の間」が生まれました。

大正時代に入り、家族本位で、家族の繋がりを強くしましょうという考え方になり、居間中心の住宅になっていきます。また、椅子座の傾向も強くなります。

第二次世界大戦を経て、食寝分離論と型計画が生まれました。

 

この時、使い方調査と使われ方調査が用いられました。使い方調査は、京大の西山夘三が提唱したもので、住宅の間取りと居住者の生活の関係を調査し、ライフスタイルのあり方を追求するとともに、住宅は食事の場所と寝る場所を区別するべきだという「食寝分離」を理論化しました。使われ方調査は、東大の吉武泰水らが提唱した、利用者の行動そのものや、家具の置き方などを意識の反映及び軌跡として建物の使われ方を調査し、法則を発見しました。

 

建築計画学が一番活躍したのが、第二次世界大戦直後です。みんな家がなかったので、日本国民に住まいを提供する、次世代を支える技術を短時間で育てるということを目的に、住まい標準化がされました。住宅も、小学校なども、短時間で良いものを供給するにはどうしたらいいかが模索されました。

食寝分離論は、就寝分離論と合わさり、それら二つを実現する間取りの構成は、51C型と呼ばれます。1951年に登場したことと、A(16坪)、B(14坪)、C(12坪)のうちCの広さだったことが理由です。食寝分理論により、台所に食事するスペースが設けられたダイニングキッチン(DK)が導入されました。

 

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51C型平面図

 

 また、第二次世界大戦の火災で家がなくなってしまったので、火災に強い鉄筋コンクリート(RC)で立てられるようになりました。

 

このようにして、

・食寝分離

・就寝分離

・私室の確立

・家事労働の軽減

・機能文化

を目指したモダンリビングが生まれました。

機能主義からnLDKへ移行していきますが、岡山の住宅を設計した山本利権さんは、これに反対しました。

1980年代に入り、日本はだんだん豊かになってきて、nLDKは批判され始めます。豊かになった日本国民は、個性と多様性を求めるようになりました。

1970~1980年に大阪で、コーポラティブ住宅が始まりました。個性や多様性を求めるのと同時に、高度成長期にどんどん建てられた家の値段の高さに疑問を感じ始めたのです。住宅が建つまでには、土地代、建物代、設計費だけでなく、人の紹介料、土地をいじる人などいろんな人のマージンの合算になっています。もっと安くできるやろ!

似ていますが、コレクティブ・ハウジングは集まって住むことに重点を置き、共用、共有部分を多くとる住宅です。

この二つを合わせて、コ・ハウジングと呼ばれます。

 

 

話は変わって、北海道の建築の特徴は居間に集まって過ごす、活動的なものであることです。

そして閉鎖型です。本州では凸凹な形で、敷地に余裕があれば増設もしますが、北海道では箱型で、居間中心です。

アイヌの伝統住宅チセは、縦穴を掘らず、夏の家と冬の家の二つを持ちます。あ、冬の家はちょっと掘ります。

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チセ 平面図

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チセ 断面図

北海道の住宅も洋風ですが、本州とは違って、洋風の方が寒さに耐えられたことが理由です。また北海道では、断熱性を上げることが、日本で初めて研究され始めました。

 

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三角屋根住宅 断面図

 現在北海道では人口減少と札幌市への人口集中が進んでいます。札幌が地方のお年寄りを吸い取っているんです。

 

都市の話で先生おすすめの本は、

・都市という劇場

・街並みの美学1:D/Hという建物からの距離と建物の高さの関係から囲まれ感を表す指標で街並みを考察していきます。ヨーロッパ大好き先生なのは注意(笑)

 

街並みを豊かにする事例が挙げられました。

・ポケットパーク:洋服のベストについているような小さい公園

ニューヨークのオフィス街で、営業に出た時にちょっと休む場所や、パンを食べる場所を探すことが元となって、民間の地主が、ベストポケットパークを作り、街並みを豊かにしようとしました。日本の行政は単に小さい公園と捉えていますが、本来はオフィス街の中にある休むところを意味します。住民が管理するところに特徴があり、①都市美、➁小空間に価値を与える、➂コミュニティを生むこと、➃高度な都市空間にゆとりを生むことが期待されます。

このような公共空間の生まれ方はPFIプライベート・ファイナンス・イニシアティブ)であり、公共空間を民間の資金、ノウハウで運用していくことは、効率的で効果的です。

・ハイラインパーク:廃材や形状を活用したデザインで、斜めに通っていた高架線が使われなくなり、そこを全部公園にしました!

建物の高さに関係なく高架線はあるので、今まで見たことのない中途半端な位置から、オフィスの窓を見ることが新鮮で面白いです。札幌は、数字的にはわかりやすいですが、空間認識的には、どの交差点も同じ顔を持つという悲しい面があります。

このように用途転用することからは、更地では出てこない発想が生まれるかもしれません。

建築計画Ⅰ 空間の性能

建築計画Ⅰ

 

今回の授業は、施設についての話から始まった。

空間の性能として、持続可能性と利便性について考えていく。

 

 

一つ目は、利便性についてです。

ここでは特にキッチンに代表される動線計画を取り上げました。動線計画が意識され始めたのは、1925年の近代建築以降にバウハウスで建築に人間工学が取り入れられ他頃からです。

このころの建築で思想的に変わったのは、脱宗教、脱様式です。思想的な理由ではなく、人間が使いやすいように空間を考えていこうという発想が生まれてきました。

 

動線計画を考えるときの基準は、「疲れない」といいうことです。また注意すべきポイントは、分離すべき動線が分離されているかということです。これはゾーニングと呼ばれ、例えば図書館では、サービスを受ける人と提供する人の動線が重ならないように設計します。

アレキサンダー・クラインの動線では、平面図から動線を取り出して利便性を考察しています。

 

二つ目は、快適性についてです。

ここでは特に温熱環境の調整を取り上げました。

 

 

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快適ライン

 

快適だと感じる灰色のゾーンまで、空間的な方法によって青からオレンジまで、機能的な方法によってオレンジから緑まで近づけることで段階的に達成していく。

バブルの時代は機能的な方法に頼って達成しようとしていたが、今はバブルの前と同様空間的な方法だけで近づける方法を模索している。

 

空間的な方法で温熱環境を調整するとは、例えば日本に伝統住宅において、深いひさしとその前に広葉樹を置くという形がある。夏は太陽高度が高いので、深いひさしと広葉樹が火を遮り、冬は太陽高度が低くなり、さらに葉が落ちるため日光を多く取り入れることができる。

南窓がいいというが、直射日光って扱いづらいものである。最近はコンピューターで人工灯も組み合わせて調整している。

 

3つ目は、安全性についてです。

ここでは火災対策を取り上げます。

シカゴで大火災があった時もそうでしたが、日本でも、火災対策として鉄筋コンクリートを使って施設を立てるようになります。日本では、鉄筋コンクリートが真っ先に小、中学校に使われ、世界に先駆けて避難場所としました。

そもそも、どうやって火災になるのかと言いますと、発火後5~10分で、フラッシュオーバーを起こして、部屋全体が一気に燃えるのです。ですから、4分消化して消えなかったら、逃げましょう!火災は天井から上階の床へ燃えていくのではなく、割れた窓から外へ火が出て、外から上階へ燃え移ります。ですから、窓の下の部分の壁が高いと、火が広がりにくいです。

特別避難階段で大切なことはいくつかあります。

・壁が厚くなるので、壁から90cm離すこと。人が呼吸でき、電気が落ちても光を得るために、窓は削ってはいけません。それか一旦外に出るように設計します。

・開き戸は、逃げる方向に向かって開くように設計しましょう。これはフールプルーフ(間違えようのない)、ミスが起こらない設計と呼ばれます。似た言葉に、フェイルセーフ があります。ミスをしても、安全が維持される設計です。

・二方向避難、火災が起こった時、階段が一つでは反対側にいる人が逃げられないので、反対側にも階段を作っておく必要があります。

 

丹下健三の代々木競技場も、避難を考えて、入り口が外へ向かって広がっています。

 

 

4つ目は、耐久性についてです。

ライフサイクルコスト(LCC)は、構造物の企画、設計に始まり、竣工、運用を経て、修繕、耐用年数の経過により解体処分するまでを建物の生涯と定義して、その全期間に要する費用を意味します。

ここで出てきた耐用年数は、本当にもつかではなく、壊されるまでの結果論で計算しますので、日本の住宅では25年ほどです。

鉄筋コンクリートは、アルカリ性の鉄が、雨などの酸性によって中性化し、体積が大きくなることで腐食していきます。これは物理的耐用年数と呼ばれ、中性化が主筋に届くまでの時間を意味し、60~70年です。

設備的耐用年数は、配管が10年、ダクトが20~25年です。つまり物理的にダメになるまでに、5,6回配管を取り替える必要があるので、コンクリートの内部に配管やダクトを埋め込んではいけません。

4つ目は、機能的耐用年数です。最初は希望を持って建てられた施設でも、時代とともにニーズが変わり、使われなくなってしまうまでの時間です。顕著に現れるのは住宅です。対策として、SI(スケルトン・インフィル)という手法が考えられました。建物のスケルトン(構造躯体)と、インフィル(間取り、内装、設備)を分離した工法です。

5つ目は、建物が経済的に価値を有する時間を示す、経済耐用年数です。建てられてから、イニシャルコストの負担は減っていきますが、ランニングコストが高くなっていきます。税法上で使用できる期間を定めた法定耐用年数とは異なり、物理的、機能的、経済的要因による劣化を総合的に見て、経済的に稼働できる寿命を表します。日本は、法定耐用年数によって、中古住宅を否定しています。

 

空間の性能の5つ目、変化への耐用についてです。

リノベーションとコンバージョン(用途転用)という方法があります。

リノベーションは、今ある建物の用途を変えないまま付加価値をつけて価値を再生することで、コンバージョンは、用途を変更することで価値を再生することを意味します。例えば倉庫を賃貸住宅にしたり、銭湯をデイサービス施設に変更したりする場合です。

 

人口減少の時代は、かつての都市計画の崩壊も招きました。用途地域を決める都市計画では、ニュータウンを作りましたが、今は高齢化でむしろいつでもお年寄りがいるんですけど、ニュータウンは同じようなライフスタイルの人が済むので、開く時間が発生してしまいます。そのためニュータウンでの犯罪が増えてしまいました。

 

アパートも変化し、犯罪が起こるデザインになってきました。かつては二つの住戸の間に階段を設ける、階段室型が主流でしたが、今は廊下の両端に階段を設ける片廊下型の方が、経済的な利点から増えてきました。

 

○発達と環境

母子一体化の時期というものがあります。この時期は、子供が見える、また子供も母親が見える必要があります。3~4歳は、自分ではできると思っているのに体がついて行かず、事故が多発するので注意が必要です。

保育園などでよく取られる手法は、0~2歳,3~4歳,5~6歳を、遊び場も含めて分けることです。

今、子供の起きている時間のほとんどは学校にいるので、教育環境だけでなく、生活環境、遊び場でもあると、成育環境の研究の第一人者である仙田満先生はおっしゃっています。

プレイパークコペンハーゲンで生まれはガラクタ遊びから発想されました。廃材などを集めてきて、子供が小屋を作るなど、自主性に任せる遊び場です。プレイリーダーという大人もつけます。

 

 

○先生からの設計の勉強のアドバイス

・デザインするときは、平面図などを書きながら常に横で断面図やパースを描くようにしよう。良い設計は断面図もしっかりデザインされている。

・外構や植栽もちゃんとデザインする。何の木?土か砂利か?

建物として、「外部だけで図書館って設計できる?」、「1000人が一緒に学ぶ教室は?」考えてみよう!

ところで、仮設住宅を経由して家に戻るのは日本だけだよ。アメリカはツーバイフォーという工業化住宅で、ホームセンターに規格の部材売ってるから、自分で治すことができる。日本でやろうとしたら各メーカーがそれぞれ作っちゃったから失敗したんだけどね。災害後の復興がどうあるべきか考えたら、そもそも仮設住宅がいるのかという議論にもなるね。柔軟な発想をで建築を楽しもう!

建築計画Ⅰ 数字で測れないストレス

 

 

建築計画Iは、森傑先生の建築の心理学っぽい授業です! 

環境移行というストレス

今回の授業は、環境とストレスについての話から始まりました。人と物との関係はとても深いんです。

環境移行という言葉があります。身近なところでいうと一人暮らしのスタートで、震災による住居移転も環境移行です。

しかし環境移行では大きなストレスがかかる(PTSD)場合があり、阪神・淡路大震災では、仮設住宅での孤独死、自殺が多発しました。

 

老人ホームに住み始めるのも環境移行の一つです。老人ホームについての研究は、日本よりもアメリカの方が先です。アメリカでは共働きが多いことが背景にあります。初期の老人ホームは、病院のような環境でした。しかしその結果、インスティテューショナリズム(施設病)、例えば認知症が進んでしまいました。

それから、室名を番号ではなく〇〇さんの部屋にしたり、自宅で使っていたものを持ち込んだりなどの工夫がされるようになりました。

 

精神のリカバリについては、お葬式は誰のためにあるのかという話があります。

どこの文化でも、人が亡くなった時に何をするのか決まった手続きがあり、それらを行うことで、残されたものが心のリカバリをしていくと考えられています。

 

いずれ出ていくだろうと思って部屋をしつらえない応急仮設住宅でも、精神のリカバリをする現象があります。法律上は1年間、国が貸している仮の住まいなので、手を加えてはいけません。しかし、仮設住宅を被災者自身が、溜まり場を作ったり看板を立てたり庇を作ったりすることには、目をつぶっています。それらが精神のリカバリになるとわかっているからです。居住者が作るということが重要なので、東日本大震災でも建築学生と教員が参加して一緒に作る活動が多く行われましたが、被災者の意思を尊重しました。

 

仮設住宅のカスタマイズの例は、「仮設のトリセツ」という本に多く載っています。

 

グループホーム仮設住宅では、そもそも被災した時点で施設にいた人が多く、普通の仮設住宅では満たせないという課題もありました。

また、東日本大震災の時は、県外避難も多く見られました。津波だけでなく、原発のために住む土地を奪われたため、たくさんの人が札幌、北海道に来ました。

 

ここから単語が続きます。

 

・CPTED(防犯環境設計)

犯罪が起こりにくい設計。

 

割れ窓理論

窓が割れている建物を見ると、割ってもいい空間に見えてしまう。すぐにリペアすることで防げるという論。

 

・サードプレイス

2、30年くらい前から、現代にはサードプレイスがないと批判され始めました。ふファーストプレイスが自宅、セカンドプレイスが大学という感じです。

若者が渋谷のコンビニで、中学生が公園で集まっていることが問題視され始めました。

そして放課後に行ける公共施設を作る動きが生まれました。

 

札幌はサードプレイスにあまり困らない都市ですが、3000~5000人規模の街だと、サードプレイスを見つけづらくなります。コンビニもひとつくらいしかありません。

田舎の方がサードプレイスが必要なのかもしれません。

一方で、2次テリートリーに関わる問題があります。行きつけのカフェのいつも座っている席は、「自分の場所」という感覚ができ、他の人が侵入してくることを不快に思います。

 

パブリックスペースでは、

・同愛着を持てるのか

・それぞれの人のテリトリーが重なる問題をどうするか

を考える必要があります。

 

 

好みは文明によるものか、文化によるものか

森先生は学生の時貧困生活をしてソーメンばかり食べていたので、実家に帰って何が食べたいか聞かれても、カレーくらいしか浮かばなかったそうです。

欲求には、文明的側面と文化的側面があります。スリランカでは集合ベッドが使われ、外部の人が個室のアパートを提案しても、集合ベッドが選ばれたそうです。

文明的な理由で、ソーメンの話と同様、アパートというものを経験したことがないからかもしれませんし、文化的な理由で、集まるのが好きだからかもしれません。

マズローの、欲求階層が満たされないと次の階層の欲求が生まれない理論もあるし、カスタマイズを引き出すのも良いし、住めば都という言葉もあるし…

 

何れにせよ、自分たちが良いと思っているものが良いのかと疑問を抱かせるスリランカのベッドのお話でした。

 

 

うるさい音ってなんだろう

最後に環境ストレスの話になりました。

ここでいうストレスにはネガティヴな意味はありません。

 

混雑時のストレスには、物理的なデンシティと、社会心理的なクラウディがあります。

例えば異性と二人で教室にいる状況に、後から男女5、6人が入ってくると、密度は高くなったのにストレスは低くなります。

 

子供の足音が響くマンションでは、子供がいる人は、子供が走るのは当たり前と思えます。また走っている男の子を知っているとさらに気になりません。

つまり騒音は、デシベルだけでなく対人関係、社会関係によるのです。

→予測可能性、制御できるか、音の意味(締切前の時計の音とか)、人間関係

 

先生の小話 

最後に、わざと無力感を生む建築として、刑務所が立派すぎるという話になりました。

特にヨーロッパは、人権を背景に刑務所がゴージャスになってきており、それはやりすぎだとも思いますが、そもそも刑務所は劣悪な環境による更生ではなく学習性無力感を目指しているのです。

近代建築史 アメリカ

近代建築史は、小澤先生担当の19~20世紀の世界の建築の流れについての授業です。

今回のテーマはアメリカ!

 

1871年のシカゴ大火災の再開発と産業の発展を背景に、オフィスという新時代の建築の形を構想した、アメリカにおける近代建築で先駆的働きをした建築家を、シカゴ派と呼びます。

 

オフィスには、大邸宅の執事や使用人達の空間または書斎という意味があり、この二つの源流が混合されながら、オフィス空間が成立し、シカゴで「群」をなすようになりました。

 

ヘンリー・ホプソン・リチャードソンはシカゴ派の一人で、ハーバード大学卒業後は、パリの美術系の建築学校で在る、エコール・デ・ボザールに留学していました。

この建築学校は何度も登場します!

ヨーロッパ建築の伝統から抜け出し、最初にアメリカ建築を作った建築家です。

リチャードソンは、ロマネスク形態の単純性と粗石積みの重量感を追求し、アーチ以外の装飾を排除しました。ボストンのトリニティ教会も装飾抑制的な代表作です。

 

大火災の再建が背景にあるため、オフィスビルの耐火性を上げる為に、ウィリアム・ル・バロン・ジェニーの鉄骨ラーメン構造が用いられました。

 

シカゴ派が活躍した1880年代から1890年代、シカゴではブルースが生まれていた。

奴隷として南部から連れてこられた黒人の労働の歌から発展した音楽で、奴隷解放宣言後も変わらない自分たちの生活に対する不満を、独特のリズムで歌ったものである。

ブルースは教会ではゴスペルに、楽器を買えない黒人たちが身の回りにあるもので即興演奏をするジャズへと発展していき、それらが合わさってロックが生まれました。

 

ジャズとブルースは4ビート、ロックは8ビートということが多く、ブルースとロックは歌中心、ジャズは演奏中心です。ジャズは「タタタタ」ブルースは「タッカタッカタッカタッカ」という感じです。4ビートは「1,  ,2,  ,3, ,4」8ビートは「1,and,2,and,3,and,4,and」というリズムの違いがあります。

 

大火災で焼け野原になってしまったシカゴは建築家の恰好の敷地となり、新建築がシカゴの発展を一層後押しし、ダウンタウンが形成され、差別や貧富の差などの社会問題が浮き彫りになり、苦悩の中からブルースが生まれたんですね。

SDGsって何? 田瀬和夫さん in北大

最近はSDGsという言葉を見ない日はないくらいですね!北大の授業でも、SDGsを組み込んだ授業が度々行われています。

何がそんなにすごいのか、SDGパートナーズ代表取締役の田瀬和夫さんがご講演して下さいました。大学にいると、サラッとめちゃめちゃすごい人の講演があるからびっくりします!

 

講演の内容を一言で言うと、

     SDGsとは、世代を越えてすべての人がよく生きられる指針

です。田瀬さんの講演を、できるだけ短くまとめてみます。

 

 人間が生存戦略として用いてきた「教育」を、戦争や既存の国家主権では制御不能な環境、社会現象を受けて、1945年に人類史上初めて、「共存」のために使おうという文書が、SDGsというかたちで作成されました。(→「平和・開発・人権」)これがSDGsの始まりです。

また、1980年代より、今のまま経済活動が続けば「地球が持たない」という議論が活発化しました。(→「環境・持続可能性」)

それらを受けて、「平和・開発・人権」「環境・持続可能性」という二つの体系が統合されたのが、SDGsです。

SDGsは政治的宣言であり、法的拘束力がなく、実現方法も財源も特定されていません。それにもかかわらず、ビジネスにおいて重要視されています。

また、SDGsは、こうありたいという姿から、論理的に逆算して考えるという新しい思考に宿っています。これは従来の、今できることから解決策を考えるシステム思考に対してデザイン思考と呼ばれる思考法です。

時がたつにつれて、私たちの生活は大きく変わっていっています。そこで、根本的ニーズを考えるべきではないだろうかと田瀬さんは問います。「人間のありたい姿」=「本質的ニーズ」を理解することが、演繹的イノベーションには必要です。

例えば、

明治大正時代の電信は、

顕在ニーズ 文字数で課金されるのが辛い

潜在ニーズ もっと個人的な話をしたい

本質的ニーズ いつでもどこでも遠くの重要な人・大切な人と密接に繋がっていたい

現在のSNS、オンライン通話は、

顕在ニーズ 検索・リマインド機能が必要

潜在ニーズ 機器を携帯するのが面倒

本質的ニーズ いつでもどこでも遠くの重要な人・大切な人と密接に繋がっていたい

 

ここで少し補足します。

演繹法:一般的かつ普遍的な事実(ルール・セオリー)を前提として、そこから結論を導きだす論理方法。

帰納法:さまざまな事実や事例から導き出される傾向をまとめあげて結論につなげる論理的推論方法。

 

しかし演繹的に理想を追い求めるだけでは実現しません。

そのため演繹的思考と帰納的思考を融合させていく中に、次の世代を支えるイノベーションの活路があると田瀬さんは言います。

しかし現在、SDGsの理念は表面的にしか理解されていないことが多いです。LGBTや高齢者に関して言及されていないという声もあります。本当は、「一層大きな自由の追求」と言う文章で、示されているんです。つまるところSDGsが訴える自由とは、「自分らしく生きられること」なのです。

 

以上田瀬さんの講演でした!

SDGsから思考法の話にまで繋がりました。SDGsは拘束力のない宣言ですが、人類の歴史で初めて、生き方の指針の合意が取れたと言う偉大な宣言なんですね!

 

 

 

 

 

建築計画Ⅰ

建築計画Ⅰ

建築計画Ⅰは「もりけつ」こと森傑先生が担当の、設計が人の行動に与える影響を学ぶ授業です。

 

第3回の授業は、 

  1. 建築の要素が人の行動をデザインしていること
  2. 環境から何を読み取るのか、調べる方法

  3.  人間工学の情報がどう活用されているのか 

  4. 先生の学生の時の旅行談

の流れでした。 

 

まず、建築の要素は人の行動をデザインしています。

エゴによって、人間を規定し、行動をコントロールしすぎることは、建築決定論と呼ばれ、批判されています。

その反対の、相互浸透論(トランザクショナリズム)は、人間は環境の一部であり、環境も人間の一部であるとする考え方です。

行動をコントロールするような環境性質を、アフォーダンスと言います。例えば、扉の取手が縦についていればスライドして開き、横についていれば上下へスライドして開くと想定されます。

そして、単純に人が二人通れる幅の通路を作れば、人がすれ違うというアフォーダンスがあるわけではありません。例えばパーソナルスペースも行動に大きく影響を与えます。対人距離は、密接距離0~4500mm、個体距離4500~1200mm、社会距離1200~3600mm、公衆距離3600mm~とされています。二人の間に4500mmくらいの距離がなければ、並んで歩くのは不自然に感じます。

このような人間工学、心理学は20世紀初期のドイツの建築学校、バウハウスで始まりました。そして初めて化学的に分析し始めたのは日本です。

  

 では、人間は環境から何を読み取ったのでしょう。例えば目的地まで歩くとき、知覚した情報と認知した情報は同じではありません。ここで、スケッチマップ法を使ってみます。歩いた土地の情報を想像だけで描き、実際の地図と比べる方法です。例えば道の長さが、実際より長かったり短かったりします。自分の感覚では確かに短く感じるなんて面白いですよね!歩いている道のサイドにお店があるなど楽しい空間だと、短く感じます。

  

 認知地図は、way findingにおいで重要です。人間はどこで迷うのか、都市のどの要素がイメージを作っているのかを分析できます。そして都市やそのマップのレジビリティ(わかりやすさ)を向上させたり、魅力アップに何をするかを考えたりします。この方法は、ケヴィン・リンチの「都市のイメージ」という本に載っています。

また、人間工学は他にも、例えば建物の中に格子状の道がある時、まず横の位置を目的地に合わせて移動し、次に縦に移動する性質があります(ザクザク曲がる人はあまりいない)。ですから建物で火災があった場合、そのコースが避難経路になることを想定して、道幅を太くする、避難の印をこのルートに置くなどの工夫ができます。

 

認知地図を構成する要素は5つあり、

・path(パス)

・node(結節点)

・edge(エッジ):河川や城壁など、ある地区と他の地区の境目となる戦場のエレメント

・district(地区)

・landmark(ランドマーク)

 です。

 

 

授業が早く終わったので、先生の学生の時の話になりました。貧乏学生だったので、旅行はもっぱら発展途上国だったそうです。サハラ砂漠に行った時に、オレンジをリュックにいっぱい詰めて砂漠を散歩してみようと何気なく歩き出したんだそうです。なぜオレンジかというと、水より腐らないからだそうです。足跡を見て帰ろうと思ったら風で全部消えており、日差しが強すぎて影を消したため、歩いてきた山の形も読み取れなくなり、途方に暮れて歩くこと4時間。たどり着いた砂漠の端は、元の場所から4km!気をつけてねとケラケラ笑う森先生でした。